長崎市永井隆記念館
2007年9月17日訪問
長崎平和公園を出て北に進む。浦上天主堂に至るサントス通りに面して、長崎市永井隆記念館がある。
永井隆博士は長崎医大で放射線医療の研究に携わっていて被爆、自宅にいた妻を失う。
病と闘いながら研究を続け、幼い2人の子と原子野に暮らす生活のようすや、そこでの思索を文章で発信し続けた。
浦上教会の信徒としての信仰者の視点や、わが子と同年代の子どもたちへのまなざしから、『長崎の鐘』『この子を残して』などの著作、被災児童の作文集『原子雲の下に生きて』などを残した。
その著作はベストセラーになり、ドラマ化や映画化もされて多額の収入をもたらしたが、博士はそれをほとんど慈善事業に投じたという。
如己堂という質素な住まいの隣に子どもたちのための図書室「うちらの本箱」を創設、それをもとに博士の死後、寄付金と市費とで「長崎市立永井図書館」が建設され、1969年に「長崎市立永井記念館」となる。
2000年に全面改築し、「長崎市永井隆記念館」とされた。
放射線医学に関わる研究者、幼子をかかえた被爆者、試練を与えられた信仰者、この3つの立場が相まった博士の文章は、いまでも古びていない。
キリスト教を介して、広く海外にも伝えられている。
記念館の展示は、コンパクトながら博士の生涯と業績をわかりやすく学ぶことができるようになっている。
「平和を」と揮毫し続けた博士にちなみ、2008年の生誕100周年記念事業として子どもたちに「平和を」の習字の作品を募集しているコーナーもある。
2階は図書館であり、1階の展示室も高校生以下は無料となっており、学習の場としての位置づけが分かる。
館の敷地内には如己堂が保存されており、博士の質素な生活を今に伝えている。